物語

ボクには友達がいます。とても良いやつです。とても仲が良いです。
みんな彼のことが大好きです。彼もみんなが大好きです。とっても大好きです。


でも、残念なことに、彼は馬鹿なんです。

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彼が急に、就職すると言い出しました。みんなビックリしました。


ある人は言いました。やめておけと。駄目だよと。
なんで?と聞かれ、お前は馬鹿なんだからと答えました。


ある人は言いました。無理だよと。無茶だよと。
なんで?と聞かれ、お前は馬鹿なんだからと答えました。


ある人は笑いました。馬鹿が馬鹿なことを言い出したと。
ある人は怒りました。馬鹿が馬鹿なことを言うんじゃないと。


でも、彼の決意は変わりませんでした。


少なくとも、ボクにはそう見えました。

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彼はいつまで経っても就職活動を始めようとしませんでした。
でも就職はするって、言い張ってるんです。
これじゃ、みんなが言うように、本当は就職する気なんてないんじゃないかな、って思っちゃいます。


だから聞いちゃったんです。
本当に就職するの?って。


彼は、それには答えずに、こう言いました。
「お前の持ってる就職活動用の本をオレにくれないか」
彼の目は真剣でした。ボクは思わずたじろぎました。
そして、心の中で謝りました。疑ってゴメンって。

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彼と会う約束の日、ボクは忘れないように頼まれた本をカバンに入れました。
でも彼は、それを受け取るのを忘れちゃったみたいです。


しょうがないよね。馬鹿なんだもん。次に会う時に渡そう。

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次に会った時も渡しそこねてしまいました。


これじゃボクが彼の決意を邪魔してるみたいで、ぐあいが悪いです。
次こそは忘れないようにしなくっちゃ。

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また忘れてしまいました。


・・・・・・・・・あれ?

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また忘れてしまいました。


おかしい。

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また忘れてしまいました。


ひょっとして、避けてる?

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そんなこんなで今夜。
毎回毎回、重たい本をカバンに入れて会っているのも、これで最後にしようと思います。
なんで毎回渡せないのかっていうと、彼はカバンを持ってこないんです。
カバンを持ってないから、会ったその場で渡すってことが出来ないんです。
なんでカバンを持ってこないかっていうと、馬鹿だからなんだと思います。


でも今夜は違うんです。都合6回目にして、今までとは違います。
いつもは、どこかの飲み屋とかで会ってるんですが、今回は彼の地元で会うんです。
これならきっと、手渡しで持たせたとしても、そんなに邪魔にはなりません。
これで大丈夫。またどうせ彼はカバンを忘れてくると思いますが、無理矢理にでも持たせてしまいます。

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本当は気付いているんです。
彼は就職する気なんて無いんだって。
こうやって逃げているんだって。
この本を受け取ってしまったら、もう逃げられない。
そう思ってるんだって。


でもボクはこの本を渡したいんです。
彼に渡したいんです。
彼に渡してあげたいんです。
久しぶりに親と会って「就職活動はどう?」とか聞かれて。
「まぁ、ぼちぼち」とか言っちゃって。
そんな嘘をついちゃって。
そんな彼が見てられないんです。
見るに耐えないんです。


彼も本当は気付いてるんです。
このままじゃいけないって。
いずれ、進まなくっちゃいけないんだって。
どう考えても気付いているハズなんです。
そろそろ、いい加減、就職活動しなきゃいけないんだって。
普通に考えたら気付くハズなんです。
この本を受け取らなくっちゃ、自分は終わりなんだって。
終わりなんだって。
終わってしまうんだって。


気付いているハズなんです。
気付いていないわけがないんです。

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なぜか手元に、まだ本があります。
また逃げられました。
なぜだろう。
なぜなんだろう。


完璧だったハズなのに。
どう考えても、今回は渡せるハズだったのに。
なんで渡せなかったんだろう。
なんで。
なんでだ。
なんでなんだ。

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そうか。
あいつは。


馬鹿だったんだっけ。